NPO法人岐阜ダルク

Drug Addiction Rehabilitation Center

三宅知佐子 体験談

岐阜ダルクスタッフ三宅知佐子体験談

 

 私の家はお菓子屋さんでした。小学生の頃の私は引っ込み思案でおとなしくて家の手伝いもするいい子でした。でも友達が出来ませんでした。学校の帰り誰にも誘われなくて家の近い子たちの後を黙ってついていきました。その子たちに私のついて行き方を真似されて笑われました。ある時家に売っているお菓子を盗んで友達にあげました「勝手に持ってきていいの?」と聞かれて「いいよ」と言いました。学校の先生にいろいろな子の親から私からもらってくることをを聞いているよと注意されました。私は友達にあげるのをやめて、盗んでは隠れて1人で食べることをし始めました。
 うちの父はアルコール依存症で飲んで、母を殴ったり姉を殴ったり大きな怖い声を出しました。近所の人に聞こえるのが恥ずかしいと思いました。たまに二階の部屋に入ると茶碗の割れる音が聞こえたり、大声で怒鳴る声が聞こえてきます。そーっと1階を見に行ったり、ときには外に逃げ出したり、「母は大丈夫かなぁ」と心配したりしました。それでも普段の私は母の目を盗んで、自宅の店からお菓子をとってくることを考えていました。朝は早く畑に母が行くから人目がありません。「行ってきます」と自分がそろばん塾に行く時、さっと隠し持ってお菓子を掴み取り、橋の下や車のかげで食べていました。自分の部屋には食べたお菓子の空や袋、クッキーの箱が畳んで引き出しの中や服の間にしまい込まれていました。1人でよく雑貨屋さんに行きました。かわいい鉛筆やカギのついた日記帳をかっては母に見つからないように引き出しの中に隠し持っていました。友達が着ているかわいい下着が欲しくて、1人で街の店に見に行きましたサイズもわからないまま買いました。次の日着て学校に行きました。でも洗濯にも出せないので、脱いでそのまま引き出しに隠しました。母が買ってくれるちょっと地味な下着が嫌だとは言えませんでした。就職したのは専門学校卒業して19歳の時、学校に行っているときに自動車の免許も取りました。家から30分かかる病院の近くの食堂にと勤めました。昼はお運びさん。夜の宴会のための準備は2時から始めます。夜の宴会が一段落すると、ビールでも飲むかと言われて何杯か飲みます。終わる頃結構いい気分で車に乗って帰ります。足りなくて帰り道自販機でビールを買って飲みながら帰っていました。            
 休みの日買い物に行ったりした。帰り道車のドリンクホルダーにはよくビールが入っていました。私はつよいから大丈夫と思っていました。飲酒運転での事故も、捕まったこともなくて、大丈夫と思っていました。25歳の頃休みの日姉のアルバイトに車を出して乗せていく途中雪道でスリップ沢に車ごと突っ込みました。私は無傷。姉に大怪我をさせました。私は何もわからず何もせず事故の処理は全部親任せでした。姉の顔の傷のことも全部親任せのまま1年後私は薬を使い出し薬友達のところに入り浸るようになり実家を出ました。薬友達と「お店をやろう」と盛り上がり、そのためのお金を「私の家から借りればいい」と私が言い出し、私は親に「事故してしまったし、お金も返さなくてはいけないから、そのために店をやる」と前向きそうなことを言って親からお金を借りました。そのお金は店舗を借りるお金などに使って行きましたが、途中から薬代になってきました。足りなくなると私は風俗に行って、稼いだお金をみんなの薬代にしたり、家賃にしたりしていました。薬友達のところに風俗で働いた後、帰るのが面倒になってきました。薬友達も喧嘩するようになり帰ってこなくなっていきました。
 店の寮に入りました。薬を使いながら店に行きました。店の人に薬がバレても見逃してくれました。店の個室にずっと引きこもっていました。電話が入ってお客さんにつきます。薄暗い部屋で部屋についている覗き穴をバンドエイドで塞いで不正行為を見られないようにしていました。店のお客さんを捕まえてはラブホテルであって男の人に薬を使わせました。またなくなって男の人は泣いていました。泣いている男の人のことを気持ち悪いと、見下しました。その中でお金を出してくれる人と頻繁に会いました。ある時店が終わって、深夜帰ろうとしたら店の前に姉と男の人が立っていました。「久しぶり」と私は駆け寄りました。薬の使い過ぎで状況は分かりませんでしたが姉に会えたのは嬉しかったです。
 既婚者の男性と付き合い始めました。薬を一緒に使っていました。それから誰の子かわからない子を妊娠して実家に帰りました。結局おろしました。そこからしばらくは風俗勤めをしていました。姉も何も言わず、風俗に勤める私に会いに来てくれました。
 店を辞めて実家に戻ることにしました。姉が車を出してくれ小さな車1台での引っ越しになりました。実家に帰ると母が45歳の私に仕事を探してきました。言われるがままにその仕事につきました。老人ホームの給食の仕事でした。薬は使い続けていました。朝早くても薬を使っているから大丈夫でした職場のロッカーで薬を使っていました。夜8時までの仕事で終わると最終のバスに乗って男の人に会いに行っていました。休みごとに会いに行きます。その頃から自分で自分の髪の毛を切るようになっていました。着る服も裾を全部おろしてしまいました。縫ってある糸を全部切って服を着ていました。いつもすごく大きな荷物を持って電車に乗って彼に会いに行っていました。姉に車を借りました。普通1時間30分はかかる場所に1時間かからずに着きました。高速道路を乗り継ぎ凄いスピードで、前の車は追い抜きまくっていました。今で言う煽り運転はしょっちゅうしていました。車の中には捨てられないゴミが山積みでした。
 ある時実家の2階で手持ちの薬をあぶっていた時、部屋に人が何人も入ってきました。部屋を見られ車の中を見られて、ワゴン車でよく使っていたホテルの近くにある警察署に連れて行かれました一緒に薬を使っていた人も捕まっていたようです。手紙のやりとりを始めました。別れようと言う手紙を貰いました。「いやだいやだ手紙返事ちょうだい」と書いて毎日5枚の手紙を彼に送り続けました。「今日はおやつにパンを食べました」みたいな感じで、元は相手も真面目に別れようと言っていたのに私は無視をし続けました。
 出所してすぐに施設に繋げられました。でも男性とも別れていなかったし、夕食に焼肉を食べビールを飲んでいました。ダメだと言われていることを守ることができていませんでした。施設のプログラムの時間も人目を盗んではサボっていたし、休憩の時間はパチンコに行く。なかなか真剣に取り組めていませんでした。就労プログラムに入る頃、パン屋さんのバイトも決まっていましたが、体調不良で体がだるく、マイナス思考で嫌になり施設に行かなくなりました。
 男の人に頼って住むところを探して一人暮らしを始めました。アルバイトを始めて昼間の喫茶店の仕事にビールを飲んで行っていました。働きたくなくて行く前に山ほどのパンを食べるか、ビールを飲むかどちらかでした。バイト中不意に薬を買いに行こうと思い立って何も言わずに抜け出して、買いに行きました。売人を見つけて薬を買いました。それからは男の人も巻き込んでまたまた薬を毎日使う生活です。机を分解したり部屋の中でスプレー缶で色を塗ってみたり、はまり込んで集中して薬使ってよれよれになっていました。薬を体に入れても食べられるようになって、痩せなくなりました。夏、体にラップをぐるぐる巻きにして窓を閉めてエアコンを切って生活をしていました。汗だくでフラフラでした。フラフラになるとまた薬を体に入れての繰り返しでした。たまにそういえば家に帰ってないなとかお姉ちゃんの顔の怪我どうしようとか、「お金が入るなぁ」とか、「この人にお金出してもらおうかな」と考えました。考えたくなくてまた沢山使いました。そして忘れていきました。もう何のために使っているのかも考えられなくて、ただ使って眠らないように沢山使って何も考えなくなっていきました。彼が私に何か言っているのですが理解できなくて、何故か私は実家に送り届けられました。びっくりしてバスに乗って彼のところに帰ろうと父と母を振り切って、ボロボロの格好でバスに乗りました。彼には会えずに2 、3日野宿して有り金で薬を買って実家に戻りました。家族が家からいなくなるのを待って薬を使い続けていました。薬はやめたくありませんでした。太るのも嫌、薬がないと不安でした。精神病院に入院したほうがいいと母に連れて行かれ、薬はやめたくないと先生に言いました。すぐに入院でした。でも「こんなとこには居たくな」いとすぐに退院させて貰いました。
 山奥の静かな病院に入院しました。その頃には彼と電話がつながり「お見舞いに来てほしい」と、病院から電話して暇だからと漫画を買ってもらったり、お金を置いていってもらったり外出してはパンを山ほど買ってベンチで食べていました。帰りには下剤を買って病院に持ち込んで飲んでは食べ過ぎたものを出していました。私は処方薬には問題がないのですが、やはり薬が好きで寝れなければ頓服の眠剤を数時間ごとにもらっていたし、1日3回までの安定剤は大好物でした。外出の時3本持たせてもらうのを楽しみに飲んでいました冷静だったのか本当におかしかったのかは分かりませんが、外泊で家に帰ると暴れてやりたくて、「足踏みが止まらないんだ」と言いながら大きな音を立てたり、おかしな行動をとっては母を困らせていました。本当に子供のようだったと思います。長いこと薬を使いながら好き放題やってきたせいなのか、母親の事、家の事が、何もかも嫌で受け入れられなくなっていました。もう普通には生きられない薬がないなら死んだほうがマシだと。じいちゃんとばあちゃんの墓の前で死に方を調べてタバコを食べました。飛び降りるのも怖い。本当は全てから逃げ出したかった。死ぬのが怖くて家にもいられなくて居場所がなくてダルクにつながってきました。
 他人と暮らすのは嫌だった。でもほんと生きることも死ぬこともどうにもならないと感じていました。なんでもしてくれる家族とは離れて他人と暮らしてみる事は生まれてはじめてのことで今までとは全く違った環境に身を置いてみると、自分のことが少しずつ見えてきました。もう薬を使わないために今までやったことないことにチャレンジしています。そうすると使わずにできることがちょっとずつできる気がしています。問題はたくさんあるけど薬なしなら乗り越えていけます。きっと