佐藤亜耶佳 体験談
![岐阜ダルクスタッフ佐藤亜耶佳体験談](https://gifudarc.com/wp-content/uploads/2023/08/ayaka-1019x1024.png)
私はかなりの人見知りだ。
保育園の時に人見知りで自己主張しないせいでイジメられた。
小学校では、イジメられる事は無くなった。
でも、一人ぼっちになった。
喋らない。 自己主張しない。
そんな私を気遣ってグループに入れてくれるみんなが大っ嫌いだった。
自分のせいでみんな私に気を遣う。
「自分なんていなくなればいいのにね。」
自分の事が大嫌いだった。
家に帰る。
お父さん、お母さん、妹、弟、私。家族が大好きだ。
家に帰ると私は本当の自分になれる。
休みの日には家族全員で出かけて、
みんな川の字になって同じ寝室で寝て、
同じテーブルでご飯を食べて、
お父さんとは一緒にお風呂に入って、
お母さんが体を拭いて寝巻きを着せてくれて、
お父さんはおんぶをして、
ベッドまで運んでくれた。
幸せだった。
大好きだった。
でもいつの日からか、
お父さんとお母さんは喋らなくなった。
お出かけも、無くなった。
ご飯もバラバラになった。
私の大好きだった家は、ぐちゃぐちゃになっていった。
私の居場所はなくなった。
学校にも、家にも、本当の自分でいられる場所はない。
一人ぼっちになったような気がした。
さみしかった。
泣いても、誰も気づいてくれない。
15歳。
私は、出会い系で男の人を探しては、
手当たり次第にセックスをした。
セックスをしている時はさみしくなかった。
そんな事を繰り返しているとシャブを持った男性と出会った。
「全然大丈夫だよ。」 そんな軽い言葉に私は安心して、打った。
その一発で、全てが吹っ飛んだ!
心の中のモヤモヤが全部吹っ飛んだ!
そのうち、一人でシャブを使うようになった。
そうするうちに、シャブを打たないと起き上がれない体になった。
シャブが無いと不安で眠れない。
シャブを買うために体を売った。
金と、シャブに追われる毎日。
この体は、みるみるズタズタになっていった。
疲れた。
17歳。
「もぉ、やめたい。こんな生活。」やめられなかった。
もう疲れたよ。
そんな時、私の所にやっと警察が来た。
1回目の逮捕。
お母さんの目の前で手錠をかけられて、
連れて行かれる私をお母さんは抱きしめて「ごめんね、 気づいてあげられなくてごめんね。」そう繰り返す。
私は少年院に行った。
「もうシャブをやめる。」
そうやって決心したはずだった。なのに…!
私はやめられなかった。
またやってしまった。
罪悪感で、家にはいられなくなった。
20歳。
保護観察が終わるとともに家を出た。
捕まらないように色んな場所を転々としながら生活した。
そうするうちに辿り着いたのは石川県。
クスリで繋がった新しい仲間が出来た。
その仲間達とDJをしながら、
イベントオーガナイズチームを作った。
シャブとは、切っても切れない生活になっていた。
クスリやめたいなぁって思う瞬間もあった。
でも、仲間とは離れたくないし、DJ もしたい。
シャブが無いと、
私はこの中にはいられない。
そんな時、私はまた捕まった。
2回目の逮捕。
刑務所に行きたくない。
シャブをやめないといけない・・・
弁護士が入れてくれた本「拘置所のたんぽぽ」
を読んで、私は拘置所の中からお母さんに手紙を送った。
ダルクに連れて行って欲しい。
もう、 一人じゃまたクスリやっちゃうから、
お願いだから
ダルクに連れていって欲しい。」
そうして、懲役3年執行猶予5年の判決とともに私はダルクに来た。
ダルクに来て気づいた事がある。
私は仲間が欲しかったんだ。
ダルクに来て、
薬をやめたいと強く思えば思うほど、仲間が沢山できた。
クスリがなくっても、
私は一人にはならなかった。
5年後ダルクのプログラムを卒業し、
「動物と一緒に働いてみたい」という思いでふれあい牧場で働いた。
愛玩動物飼養管理士2級の資格を取得し、
1年間の実務経験を得た。
いつか、わたしは動物保護に関わりたい。
動物達と一緒にカフェを開きたい。
だが法律は執行猶予がとれてから5年間は、
責任者になることはできない。
じゃあこの5年間どう生きるか。
そこで、色んな経験をつもうじゃないかと決め、
今は岐阜ダルクに転職をしてスタッフをしている。
人生1回ぽっきり。
どんどんチャレンジしよう。
もうひとつ、今の私の趣味は、DJをする事。
自助グループの仲間達とDJイベントをしてみたり。
やりたい事がシラフで出来る。
いや、シラフだから続けられるんだ。
もう、薬は必要ない。