NPO法人岐阜ダルク

Drug Addiction Rehabilitation Center

横井佐和子  体験談

岐阜ダルクスタッフ横井佐和子体験談

去年11月にスタッフになった横井佐和子です。私の依存は摂食、薬物、共依存、主にこの3つです。

思えば幼い頃から自分の本当の気持ちを言えない子供でした。

ストーブでお尻に火傷をした時、両親に言えば叱られると思いヒリヒリしたお尻を湯船につけられず、ただ泣くだけ。一緒にお風呂に入ってたお母さんから「どうしたの?」って聞かれてやっとお尻を見せ事の状況を知らせる、そんな子供でした。小学高学年の時は、女子による集団無視にもあいました。どうしてそんな事されるのか理解できなかったけど聞けもしない、辛い苦しい時でした。誰もいないバスケ部の部室に入り、みんなのランドセルをジャンブして踏み潰しぐっちゃぐちゃにした後、バレない様に元に戻しました。すごくスッキリしました。ごくたまに、その子たちに話しかけられると嬉しくてホイホイ着いていく自分もいました。本当は仲良くしたかったし仲間に入れてほしかった。

摂食は高校1年生から始まり、キッカケは9年間毎日続けていた水泳を突然やめた事による激太りでした。半年で10kg以上も太り、醜い姿に絶えられず先輩からの「喉に指突っ込むと全部出てくる」の一言でハマっていきました。食べたら太るストレスから開放され、この世の終わりという大量の食べ物を食べ、5本指を喉ちんこの奥までトイレで吐く行為は止まりませんでした。違法薬物と出会う23歳まで毎日続きました。

違法薬物を手にした私は痩せだし、食べ吐きをする必要がなくなりました。痩せたらモテだし色んな男性と付き合えるようになりやりたい仕事も出来るようにました。毎日が満たされて刺激的で怖いものなしでした。

しかし、そんな魔法の時間は長く続かずクスリ使いすぎておかしくなりましました。恋人にはスグにふられ仕事はクビ、友達も去っていき、誰からも必要とされていない孤独だけが残りました。

気がつけば末期には、死にたい気持ちを消すためだけに使っていました。

その後私は31歳で自助グループに繋がり、毎日ミーティングに通いクスリが止まり社会復帰をしました。12年間シラフで様々な経験をしましたが次に待っていたのはシラフの底付きでした。

12年もやってきたのに、この色褪せた人生は何?

底をついて死ぬ事ばかりを考えていた私が助けを求め扉を叩いたのが岐阜ダルク。それが今から3年半前。取り組んだ事は、自分の最大の欠点である「恐れ」と向き合い乗り越えて行く事。思っている事を素直に相手に伝える事です。けっこう勇気いるんですコレ!

それができなかったからクスリも食べ吐きもDVも止まらなかった。結果を気にせず相手に伝える事や、12ステップを使う事で私に染み付いたガンコな考え方や生き方が変わって来ました。

近頃、自分に対するウソやゴマカシ、保身やイジワルを認めだしたら、人に対する恨みが感謝に変わってきました。仲間が私に深く関わってくれたから本当の自分に出会えました。

両親の援助なくして、スタッフの支えなくして、仲間の存在なくして、今の私は有りえません。

岐阜ダルクがなければ死んでた。ここは私の命の恩人である場所。

9ヶ月前に念願のスタッフにさせてもらえて、更にもう1つの夢であった農業もやらせてもらっています。そこに恩返しがしたいし、私の経験や知っていること全てを手渡したいんです。

だから毎日必死で生きています!そこに幸せもたくさん運ばれて来ます!

まだまだ修行中ですが、自分の成長も仲間の成長も本当に楽しみです。

人に期待せず、自分に期待してでもみんなと一緒に歩いていきます。

また、今日だけで。