NPO法人岐阜ダルク

Drug Addiction Rehabilitation Center

河合正   体験談

岐阜ダルクスタッフ河合正体験談

「本当の自分」

昔から「評判」を気にする人でした。クラスの人気者や一目置かれているグループの中にいると安心でした。一流の大学、一流の企業に入ることで優越感を感じていました。周りに合わせて「イケてるふり」「出来るふり」「裕福なふり」をする自分がいました。だから「メッキが剥がれないようにしなければ」という意識がいつもどこかにありました。

自分がゲイだと自覚したのは19歳の頃でした。それからは表向きには「順風満帆のエリート」を装っていましたが裏側で自分は社会不適格だという恐れを抱えていました。決してバレてはいけない、誰にも言えない漠然とした不安。それを忘れさせてくれたのは不特定多数とのSEXでした。

30歳を過ぎて独身のまま取り残されていく自分の姿が惨めで、恥ずかしくて人を遠ざけるようになりました。心の孤独を埋めるためにもっとSEXが必要になりました。33歳でHIVに感染しました。もう自分は社会の中で価値がなくなったと感じました。35歳で覚せい剤に出会いました。このクスリがあれば「もっとSEXできる」「もっと求められる」「まだ生きていける」。そうやって使い続けて身も心も擦り減って行きました。37歳の年に新宿の街で職務質問を受けて逮捕されました。警察から知らせを受けた両親が泣きながら留置所に駆け付けました。私はこの逮捕劇のどさくさに紛れて自分がゲイでHIVであることを両親とパートナーに白状しました。ただ自分が楽になりたいだけの身勝手で乱暴な暴露でした。

 

有罪判決の執行猶予で、両親が私を実家に引き取ってくれました。20年ぶりの両親との3人暮らしが始まりました。東京に長年連れ添ったパートナーがいることを両親に告げました。母は「その人を誘って一緒に家族旅行に行きましょう。あなたのパートナーならお母さんにとっても家族です」と言いました。うれしい言葉なのに困った気分になりました。私はゲイであることをまだ恥じていましたので、恥ずかしいものを見られる気がしてバツが悪かったのです。

執行猶予の3年間が過ぎ、親が肩代わりしてくれていた借金の返済も終えた頃から、私はまた不特定多数とのSEXを繰り返すようになりました。やがてクスリを使う相手と出くわし、それが引き金となって覚せい剤の再使用が始まりました。

一度始まったクスリはもう止まりませんでした。私の社会復帰をずっと支え続けてくれた親やパートナーは怒り悲しみました。間もなく父がガンで倒れ、母は病床の父に「息子が覚せい剤に狂って帰ってこない」と嘆き、父は「もうあいつはダメだ。放っておけ」といってこの世を去りました。それから1年半後に母も不慮の死を遂げました。独りぼっちになった私は毎日大量の薬を使いました。複数の車に追いまわされる幻覚の末、自ら110番したことが切っ掛けで逮捕されました。2度目の逮捕で自分自身の行く末が怖くなり「岐阜ダルク」に助けを求める手紙を留置所から書きました。ほどなくダルクのスタッフの方が留置所に面会に来てくれました。差し入れしてくれた小冊子(仲間の体験談)を何度も読んでショックを受け「ダルクに行こう」と腹をくくりました。刑務所に服役中もずっと手紙のやりとりをさせてもらいました。この縁が私を「ダルクのプログラム」に繋げてくれました。

 

刑務所の中では人の足許につけこんだイジメが横行していました。こんなところでゲイだとバレたら一巻の終わりだと思いました。暫くすると同じ班に自称バイセクシュアルだという受刑者が入ってきて、案の定イジメの対象になりました。彼が私に「あなたゲイでしょ? お仲間だから分かりますよ」と言ってくるんじゃないかと不安に怯え、彼を敬遠し続けました。

出所日の朝、逮捕時の私服を一年ぶりに着て最寄り駅まで刑務官に付き添われて歩きました。改札口で刑務官と別れすぐ来た電車に乗って岐阜ダルクに向かいました。気分は晴れませんでした。「自分がゲイであることを施設の中で告白しなければならない」という恐怖で気が重くなっていました。

ダルクで「正直になって心を開く」訓練が始まりました。ミーティング(グループセラピー)で仲間達は徹底的に正直になって自分の話をすることに取り組んでいました。私もだんだん正直に話せるようになりました。人は良いこともするし悪いこともする。妬んだり意地悪したり恐れたりする。物分かりのいいふりをしてカッコばかり付けてきたけれど、私も仲間もどこか同じなんだって認められるようになりました。心の扉が開いていきました。

本当の自分のことが知られるのが怖かった私は、人との繋がりを拒んできました。でも心の底では「健全で親密な人との繋がり」を求めていました。ゲイであることを拒んでいるのは社会ではなくて私自身でした。「装ったり」「ふりをする」のをやめて素直な自分を受け入れることで自分自身と親密になれていく気がします。これまで何十年も感じ続けていた自分や他人への「よそよそしさ」から少しずつ解放されていく気分です。