NPO法人岐阜ダルク

Drug Addiction Rehabilitation Center

遠山 香   体験談

岐阜ダルクスタッフ遠山香体験談

覚せい剤を打つと万能感が得られる。この薬を使っていれば幸せになれると思えた。お酒を飲んで暴れる夫にも我慢ができた。嫌なことを忘れられる。何もかもうまくいくはずだった。ところが、離婚、精神病院入院、逮捕、自殺未遂・・・思ってもみない生活が待ち受けていた。
留置所の中で「もう二度と覚せい剤は使わない、子供達を大切に育てていくんだ」と強い思いで決心しても、脅迫的な薬物への欲求に打ち勝つことなどできなかった。薬をやめられない罪悪感を感じるとさらに薬が必要になった。
薬物中毒という言葉は知っていたが、薬物依存症という病気のことはよく知らなかった。
ダルクの創設者である近藤恒夫氏が書いた薬物依存症という本と出会い、日本にもリハビリセンターがあることを知ったのが35歳の時だ。藁をもすがる思いで当時自宅から近い名古屋にあるダルクに連絡をしたことを今でも忘れない。あの時の選択が人生のターニングポイントになったことはまぎれもない事実である。
ダルクでは一日3回のミーティングが回復プログラムの要である。午前中のミーティング、午後から運動プログラム、そして夜はNAという自助グループ(ダルクとは別の団体)のミーティングに参加する。
ダルクでは電話を持たないこと、車には乗らないで電車で通うこと、友人と連絡を取らないことなど提案されたが携帯電話をカバンの底に隠し持ち、自宅に戻ると携帯電話に入っている知人にだれこれ構わず電話したり・・・薬を使ってしまって家に帰れなくなり、ダルクに車で行ってまわりをうろうろするだけでダルクに行けなかったりすることが2・3ヶ月も続いた頃、当時の名古屋ダルクの代表だったけんさんに「お前にはダルクはまだ早いな」と言われて通うのをやめることになった。
しかし、けんさんは「NAに行くといいよな」と言っていたので、毎日名古屋市内のあちこちで夜19時から行われていたNAミーティングに通うようになった。ダルクを追い出されて実はさみしいと感じていた。ミーティングに行けば、ダルクの仲間とも会える。せっせと通った。
後になって、携帯電話があれば簡単に売人に電話をすることになるし、つまらない生活に刺激を与えてくれる友人や知人に連絡をしたくなる。車に乗れば、薬物欲求が入ればすぐに薬を買いに走れる。提案されていたことに取り組まないと簡単に薬物に近づくことになることだったとわかった。
ミーティングでは自分がどのような生き方をしてきたのか、自分の人生を振り返る。そして自分の考え方や物事の捉え方を変えていくことを学んでいく。
薬物を使用するために家族にうそをついてきたこと、子供に暴言を吐いたこと、精神病院の保護室でおむつをつけて点滴だけで生きていた時のこと、幻聴や幻覚でおかしくなっていた時のことなど人には言えないような恥ずかしい話をする。一方で、子育てを頑張っていた時のこと、離婚した夫のことを愛していたこともあったことなどどこで自分が大切なものをいつ失っていったのか振り返った。
ミーティングで自分を振り返ることはつらくて苦しい時もあり、正直な話をするとミーティングで話を聞いている仲間達にどう思われるか気になったり、罪悪感にさいなまれたり、落ち込んだりすることも多くあったが「成長するには痛みが伴う」という先行く仲間の言葉を励みに自分に向き合い続けた。
薬物依存症であることを隠して老人保健施設で働くようになった。NAミーティングに毎晩通い、回復が始まって5年程が経過したころ、岐阜県にダルクをいっしょに作らないかとけんさんに声をかけてもらった。
薬物依存症という病気をオープンにして生きていきたい、自分の経験をもっと多くの薬物依存症者に伝えたい、苦しんでいる薬物依存者の居場所を作りたいという思いから、仕事を退職し、名古屋ダルクで3か月の研修を受け、岐阜ダルク設立に向けて県内を奔走しました。それまで働いていた職場の上司や同僚にはようやく本当のことを打ち明けることができた。
息子たちにはダルクで働くことを緊張で震えながら打ち明けた。覚せい剤を使ってきて捕まったことや病院に入院したことなど隠してきたことを正直に打ち明けた。息子たちは私を否定することなく受け入れてくれたように思います。

行政・学校・医療・弁護士などの関係機関をはじめ、教会や目にとまる様々な所を回って、自身の薬物依存症に陥った体験を話し岐阜ダルクの活動を支えてほしいと協力のお願いに毎日毎日、出会いを繰り返しました。
大切な働きだとわかってくれる方もいましたが、偏見を持たれることも多くあり、設立当初は施設を利用する仲間もいない、運営資金もない状態で施設の運営を続けていくことへの不安と恐れがつきまとい、つらくて苦しい状況が続きました。そのような中で話に耳を傾けてくれて理解と支援をしてくれる方々が少しづつ増えていったのです。
あの一番苦しかった頃、いつも支援者の方々のことを思うと、一人じゃないと勇気が出て前に一歩ずつ進むことができました。
岐阜ダルクの活動を通して新しい人との出会い、新しいことにチャンレンジした経験が薬物への依存から自立へと向かわせてくれたように思います。

岐阜ダルクには薬物(違法薬物の他、睡眠薬や精神安定剤などの薬)・アルコール・摂食障害などの依存症に陥った仲間達が共同生活をしながら新しい生き方にチャレンジしています。
睡眠薬がないと眠れなかった仲間が、日中身体を動かすことでよく眠れるようになり睡眠薬を飲まなくなります。
人とのコミュニケーションが苦手で話ができなかった仲間が笑顔で人と会話ができるようになります。
自分さえよければ人のことなどどうでもいいと思っていた仲間が、人のことを思いやったり、自分の事を大切にできるようになっていく。
こうした仲間達の姿を目の当たりにする喜びがダルクにはあります。

私自身、仕事や家庭や人間関係などで様々な問題にぶち当たることが今まで当然ありますが、ミーティングで起きた出来事を話すと、整理されて問題が何かということを見つけ出すことができます。そして問題の解決方法・・・何ができるのか考えます。そして先行く仲間に相談します。相談することで新しい行動に移す勇気が出ます
50歳になった時、大型バイクの免許を取得しました。陶芸教室に通って趣味にいそしんだり、ダルクを卒業した仲間たちやNAの仲間達とマラソン大会に出たり、登山をしたり、おいしいごはんを食べに行ったりして生活を楽しんでいます。
両親や息子たちとも定期的に集まって食事や近況報告し合っています。
息子たちは、ダルクの活動で必要な時に協力してくれます。一番の理解者だと思っています。

私は薬物依存症という病気になったけれど、この病気のおかげで本当の幸せとは何なのか、人とのつながりを大切にすることで幸せになれることを実感しています。もう薬物を使う必要がなくなったんです。
同じ苦しみを経験した仲間達と分かちあうミーティングには大きな力が働きます。

これを読んでいる依存症で苦しんでいる仲間、岐阜ダルクで回復プログラムに一緒に取り組んでみませんか。新しい人生が開けますよ。