佐藤亜耶佳 体験談
私はかなりの人見知りだ。
保育園の時に人見知りで自己主張しないせいでイジメられた。
小学校では、イジメられる事は無くなった。
でも、一人ぼっちになった。
喋らない。 自己主張しない。
そんな私を気遣ってグループに入れてくれるみんなが大っ嫌いだった。
自分のせいでみんな私に気を遣う。
「自分なんていなくなればいいのにね。」
自分の事が大嫌いだった。
家に帰る。
お父さん、お母さん、妹、弟、私。家族が大好きだ。
家に帰ると私は本当の自分になれる。
休みの日には家族全員で出かけて、
みんな川の字になって同じ寝室で寝て、
同じテーブルでご飯を食べて、
お父さんとは一緒にお風呂に入って、
お母さんが体を拭いて寝巻きを着せてくれて、
お父さんはおんぶをして、
ベッドまで運んでくれた。
幸せだった。
大好きだった。
でもいつの日からか、
お父さんとお母さんは喋らなくなった。
お出かけも、無くなった。
ご飯もバラバラになった。
私の大好きだった家は、ぐちゃぐちゃになっていった。
私の居場所はなくなった。
学校にも、家にも、本当の自分でいられる場所はない。
一人ぼっちになったような気がした。
さみしかった。
泣いても、誰も気づいてくれない。
15歳。
私は、出会い系で男の人を探しては、
手当たり次第にセックスをした。
セックスをしている時はさみしくなかった。
そんな事を繰り返しているとシャブを持った男性と出会った。
「全然大丈夫だよ。」 そんな軽い言葉に私は安心して、打った。
その一発で、全てが吹っ飛んだ!
心の中のモヤモヤが全部吹っ飛んだ!
そのうち、一人でシャブを使うようになった。
そうするうちに、シャブを打たないと起き上がれない体になった。
シャブが無いと不安で眠れない。
シャブを買うために体を売った。
金と、シャブに追われる毎日。
この体は、みるみるズタズタになっていった。
疲れた。
17歳。
「もぉ、やめたい。こんな生活。」やめられなかった。
もう疲れたよ。
そんな時、私の所にやっと警察が来た。
1回目の逮捕。
お母さんの目の前で手錠をかけられて、
連れて行かれる私をお母さんは抱きしめて「ごめんね、 気づいてあげられなくてごめんね。」そう繰り返す。
私は少年院に行った。
「もうシャブをやめる。」
そうやって決心したはずだった。なのに…!
私はやめられなかった。
またやってしまった。
罪悪感で、家にはいられなくなった。
20歳。
保護観察が終わるとともに家を出た。
捕まらないように色んな場所を転々としながら生活した。
そうするうちに辿り着いたのは石川県。
クスリで繋がった新しい仲間が出来た。
その仲間達とDJをしながら、
イベントオーガナイズチームを作った。
シャブとは、切っても切れない生活になっていた。
クスリやめたいなぁって思う瞬間もあった。
でも、仲間とは離れたくないし、DJ もしたい。
シャブが無いと、
私はこの中にはいられない。
そんな時、私はまた捕まった。
2回目の逮捕。
刑務所に行きたくない。
シャブをやめないといけない・・・
弁護士が入れてくれた本「拘置所のたんぽぽ」
を読んで、私は拘置所の中からお母さんに手紙を送った。
ダルクに連れて行って欲しい。
もう、 一人じゃまたクスリやっちゃうから、
お願いだから
ダルクに連れていって欲しい。」
そうして、懲役3年執行猶予5年の判決とともに私はダルクに来た。
ダルクに来て気づいた事がある。
私は仲間が欲しかったんだ。
ダルクに来て、
薬をやめたいと強く思えば思うほど、仲間が沢山できた。
クスリがなくっても、
私は一人にはならなかった。
5年後ダルクのプログラムを卒業し、
「動物と一緒に働いてみたい」という思いでふれあい牧場で働いた。
愛玩動物飼養管理士2級の資格を取得し、
1年間の実務経験を得た。
いつか、わたしは動物保護に関わりたい。
動物達と一緒にカフェを開きたい。
だが法律は執行猶予がとれてから5年間は、
責任者になることはできない。
じゃあこの5年間どう生きるか。
そこで、色んな経験をつもうじゃないかと決め、
今は岐阜ダルクに転職をしてスタッフをしている。
人生1回ぽっきり。
どんどんチャレンジしよう。
もうひとつ、今の私の趣味は、DJをする事。
自助グループの仲間達とDJイベントをしてみたり。
やりたい事がシラフで出来る。
いや、シラフだから続けられるんだ。
もう、薬は必要ない。