「カミ(自分より偉大な力)を信じますかぁ~?」
「信じる」「信じない」でウルさい世の中です。
事はごく単純なのだそうです。
テルテル坊主に好天を「祈る」大和人は幼少時より「信じて」います。
願い(=希望,要望)に留まらず、「祈る」を行為として当然のようにしているからです。
自意識が成長してくるそのはるか以前から「信じて」いるのですが気付けないだけ、と宗教学専門のエライ先生が云っていました。
アタシもそう思います、否、信じます。
あと知恵まみれの汚れたココロにだまされてはイカン!
ココロなんてぇものはやたらめったらコロコロ転がる単なる気分に過ぎない、ハナクソみたいなもんだ。
だからこそ「コロコロ」じゃなかった「ココロ」と言われるのだ。
「三つ子の魂百まで」なのは、幼い魂こそ「信じて」いるし、既に「知って」もいるという意味だ。
「三つ子の魂百まで」なんてあり得ない話なのだ。
仏教では「ココロ」というものはエテ公並みに行儀の悪い、油断も隙もない獣程度のモノと捉えて重要視しない。
真の我は魂に在り。
魂はとうの昔から知っている。
ちゃんと「信じて」いるということを…云々、以上専門家のエライ先生のお話でした。
アタシはこの先生のお話を信じます!
